行政書士法によれば,その目的として「この法律は,行政書士の制度を定め、その業務の適正を図ることにより,行政に関する手続の円滑な実施に寄与し,あわせて,国民の利便に資することを目的とする。」(第1条)とあります。
「行政に関する手続の円滑な実施に寄与し,あわせて,国民の利便に資する」とは,どういうことでしょうか。
まず,「行政に関する手続」ですが,行政とは,法の執行ですが,より具体的には,公共政策の実施といえます。また,「行政手続」ではなく「行政に関する手続」とあるので,その守備範囲はかなり広いものです。行政書士が窓口で書類を提出したのちも,行政の内部において手続が進行していきます。また,国や自治体の間においても,さまざまな手続きが連続しています。
次に,「円滑な実施に寄与する」とは,行政書士は,「円滑にするものたれ」ということですから,かっこよくいうと「ファシリテーター」であるといえるでしょう。
それでは,「国民の利便に資する」とは,どういう意味でしょうか。やや自虐的に,行政書士は「便利屋さんだ」という先生もいらっしゃいますが,それは,あくまで冗談,謙遜だと思います。行政書士は「公共政策ファシリテーター」ですから,「利便」は「福利と便益」と解釈すべきだと,私は考えます。
憲法前文には,「そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであつて、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。」とあります。これは,社会契約説に基づき,政府を組織すること,代表民主制を採用することを宣言しているのですが,「その福利は国民がこれを享受する」と,ここに「福利」という言葉が出てきます。
国政の流れを単純化しますと,まず,選挙で議員を選び,国会で法律を作り,予算を審議可決します。また,国会で首班指名をします。そして,首相が組閣した内閣が行政権を担当し,法律による行政を行います。公共政策はこのような流れで実施されるのですが,結局その「福利」は国民に帰属するものです。しかし,公共政策の実施においては,手続が数珠つなぎのように連鎖します。そこで,行政書士という「ファシリテーター」が必要となるわけです。
たとえば,入管政策を実施する場合,資本主義の論理でブローカーが跋扈したら,日本国はどうなってしまうのでしょうか。大変なことになります。入管政策の実施には,「公益性」そして「国民の福利」という観点が当然必要です。そのため,国家資格者である,行政書士がファシリテーターになる必要があるわけです。建設業,運輸業,産廃業,風俗営業の許認可など,行政書士の取り扱う業務は,非常に公益性が高いものが多いのです。だからこそ,自由競争の例外として,業務独占が認められているわけです。
国に政策があれば,行政書士は「公共政策ファシリテーター」となり,その福利は国民が享受する。
もうひとつ例を挙げましょう。インバウンド関連で,国の民泊政策がありますが,自治体が独自の規制をかけることもあり,一筋縄ではいきません。そこで,行政書士が現場で円滑化に寄与しています。そして,最終的に,民泊政策により得られる福利(たとえば,観光で町が活性化する,仕事が増えるなどなど)は国民に帰属していくわけです。
ちなみに,行政書士試験の合格証は,総務大臣と知事の連名です。他の士業の方で,「自分たちの合格証は『大臣』だけだから,行政書士より上なんだ。」と勘違いされている方をたまにおみかけしますが,なんという時代錯誤的発想なのでしょうかと思います。
地方分権一括法によれば,国と地方自治体は「対等・協力関係」にあります。また,社会契約説に立つと,中央政府と地方政府は対等という方が一貫します。そういう意味では,行政書士の合格証は,最先端を行っているわけです。行政書士は国や自治体の間でも,ファシリテーターとなり,活躍していますが,それは,合格証にも裏打ちされている。実に面白い話だと思います。
これから、情報社会にはいり,電子政府化していくでしょう。その政策の実現のためにも,行政書士は活躍していくと思います。デジタルデバイド問題,つまり,デジタル難民を救っていくのも行政書士ではないかと思います。
以上,行政書士法の目的条項から,行政書士は「公共政策ファシリテーター」となり,その福利・便益は国民が享受するという解釈をしてみました。
【参考文献】
- 大坪力基「行政書士ルネッサンス(復興)のための一試論-「隣接法律専門職」から「公共政策の専門家」へのアイデンティティーシフトについてー」(東京都行政書士会『行政書士とうきょう』2019年3月号)
- 同「続・行政書士ルネッサンス(復興)のための一試論-目的条項から導かれる公共政策の専門家の使命とその効用-」(東京都行政書士会『行政書士とうきょう』2019年4月号)